人生とは、夢である。

人生とは、夢。

諸行は無常である。

 

19歳にしてようやく理解させられた。

明確な、誰にも変えられないこの世の事実を突きつけられた。

ふわふわと浮遊していた自分が、お皿のように硬くて冷たいものによって強く地面に叩きつけられた気分である。

 

そんな事実を知ってから見る世界は、小さくて、無情で、冷たくて、辛い。

こんな辛いことある?と言っても誰も答えてくれない。

 

何のために生まれてきたのか、何のために死ぬのか。

誰も答えを教えてくれないし、誰も答えを分かっていないのではないかと疑ってしまう。

 

ただ一方的に残酷な世の常を教えられ、「だからこそ一刻一刻が貴重である。大切にせよ。」と忠告された小さな自分がみじめです。

 

世界はもっと温かいと勝手に思っていた自分が情けなくもあり、可哀想でもある。

 

大切な人はどんどんいなくなっていくのに、冷たい海の中で、酸素マスクがなくなるまで、あるいはサメに食べられるまで、一人で凍えながら生きていかなければいけないのか。生きるか死ぬか、自分に決定権はなく、ただ流されなければいけないのか。

 

大切な人がいなくなっても、海は消えず、波は騒ぎ、変わらず時間は進む。

絶えず変化し続け、うごきつづける世の中の中で、ただ立ち止まって、涙をこらえて生きる自分の姿がすごく小さい。

だれもが非情な現実を受け止めて生きているのに、自分だけが置いて行かれています。

私はどうすればよいですか。

 

ただ幸せを感じて生きて、大切な人との時間を悔いのないように、一刻一刻を大切に生きる。それが正解なのだと自分を言い聞かせたくても、どこかで嫌だと叫ぶ自分がいる。

死んでしまった人がいるのに、魂がどこかに行ってしまった人がいるのに、苦しみながら死んだ人がいるのに、そして自分もいつかは死ぬというのに、こんなに辛い事実をどうして受け入れられるのか。どうしてそれを忘れてただ幸せを感じて生きることができるのか。

5歳児の私が泣きわめいて叫んでいます。

19歳の私は困り果てています。本当に。もう疲れた。

 

 

人生とは夢のように儚く、不確実なものだ。

諸行は無常である。人は皆死ぬ。

 

分かっているのに、それが正解だと納得したいのに、

こんな運命があってたまるかと、この世に逆らいたい気分です。

どうしようもなく悲しく、辛く、苦しいです。

 

人生とはまるで砂の城

別れはまるで災害メッセージのように突然で、非情で、無機質である。

 

Love wins all と歌う曲を心の支えに変えて、愛は世の常にも勝つのだと、死であっても私の愛には逆らえないと、絶対に意味があったと、必ず祖父の魂は生きていると、

そうやって自分を騙しながら、なんとか平常心を保って水面の表面張力が決壊しないように、ぎりぎりで生きています。

 

私の心はこんなにもギリギリなのに、過去の私が設定した無情な日常は平気でやってくる。一つ乗り越えてもまた次があり、また次のハードルを置かなければならない。

 

来年、来月、来週、明日、もしかして今日、一分後に死ぬかもしれないのに、どうしてこんなにも世界は速いのか。

 

こんな世界で死を恐れながら死ぬまで生きて、

最後に死ぬ時、自分が何を思うのか、心配です。

死んだ瞬間に私という存在が本当に消えてなくなってしまうのに、

私が生きる意味とは何なのか。何のために生まれてきたのか。

 

 

2024.1.25 深夜に